聖母被昇天の祭日(22.8.15)

「身分の低いこの主のはしために 目をとめてくださったから」

 

はじめに

 全世界のカトリック教会は、聖母マリアの被昇天つまり、聖母マリアが体も魂と共に天の栄光に昇(あげ)られたことを、典礼における祭日として盛大に祝います。

 ちなみに、この聖母の被昇天については、すでに古代教会の時代から広く語り伝えられていたことが、それを信じるいわゆる民間信仰の芽生えとなったと言えましょう。

 実は、特に5世紀から6世紀にかけて、次のような伝説が語り伝えられていました。

 すなわち、聖母マリアが60歳になられたときです、なんと天使が現れたと言うのです。しかも、その天使は、聖母が亡くなられて後(のち)、納棺(のうかん)される棺(ひつぎ)の前に飾る棕櫚(しゅろ)の枝を、すでに天国に運んだので、御子(おんこ)は御母(おんはは)が天国に来られるのをひたすら待っておられると、告げたと言うのです。

 その後(ご)、まさに不思議な力によって世界中から集められた使徒と弟子たちに囲まれながら、マリアは静かに息を引き取られたのですが、その時です。なんと大勢の天使、聖人たちを従えて御子(おんこ)イエスが現れ、聖母の魂を受け取り、天の大群の大合唱の中、天に昇(のぼ)られる時に、実は、魂だけではなく確かに体をも一緒に天にあげられたと信じるようになった民間信仰が、綿々と続いていたのです。

 そして、遂に1950年11月1日に第260代教皇ピオ十二世は、次のようにいとも荘厳に宣言なさいました。

「われわれの主イエス・キリストの権威(けんい)と、使徒聖ペトロと聖パウロの権威(けんい)、及びわたしの権威(けんい)によって、無原罪の神の母、終生乙女である、マリアが、その地上での生涯を終えた後(のち)、体と魂と共に天の栄光に昇(あげ)られたことを、神によって啓示(けいじ)された真理であると宣言し、公(おおやけ)に広め、決定する。」と。

 

神のメシアの権威が現れた(ヨハネの黙示録12:10c参照) 

 次に、今日の第一朗読ですが、ヨハネの黙示録の11章と12章からの抜粋であります。

 この書物は、恐らく、西暦90年代の後半、使徒ヨハネの弟子の一人が、編集した黙示文学形式による、迫害下にあるキリスト教徒に送られた「希望と慰めのメッセージ」と言えましょう。

 すなわち、天地創造によって始まった人類の救いの歴史は、世の終末つまり救いの完成の暁(あかつき)に、新しい天と地の出現によって完成するという壮大な救いのドラマにほかなりません。

 そこで、次のような神秘的出来事つまりビジョン(幻(まぼろし))が示されます。

「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下(した)にし、頭(あたま)には十二の星の冠(かんむり)をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。」と。

 このビジョンを、教会は伝統的に、この女性こそが、メシアを産む教会とその母であるマリアのまさに黙示文学的お姿と理解して来ました。

 ちなみに、ここで言われている「十二の星」ですが、旧約で語られるイスラエルの十二部族と新約の十二使徒たちのシンボルではないでしょうか。

 さらに、幻想的(げんそうてき)なビジョンが続きます。

「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のような赤い大きな竜(りゅう)である。これには、七つの頭(あたま)と十本の角(つの)があって、その頭(あたま)に七つの冠(かんむり)をかぶっていた。竜(りゅう)の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。・・・

 わたしは、天で大きな声が次のように言うのを聞いた。

 『今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。

  神のメシアの権威が現れた。』」

 この竜(りゅう)の色が、赤いのは、怒りと殺意を示す色だからです。とにかく、この赤い竜(りゅう)こそが、12節で言われている「悪魔とかサタンと呼ばれる年を経(へ)た蛇(へび)にほかなりません。

 また、七つの頭に「冠(かんむり)」をつけているのは、七人のローマ皇帝を暗示していると言えましょう。

 とにかく、この竜(りゅう)が敗北し、天上には賛歌が響きわたるのです。

 なぜなら、神の軍勢を率いる大天使ミカエルが、この竜に戦いを挑(いど)み竜が負けてなんと、地上に投げ落とされるからにほかなりません。

 従って、この黙示録が語るように、救いの完成をまさに先取りなさった聖母マリアこそが、魂と体も一緒に天の栄光に昇(あげ)られたと固く信じ通した民間信仰が、まさに正統な信仰であったと確認できるのではないでしょうか。

 

身分の低いこの主のはしために 目をとめてくださった(ルカ1:48参照)

  最後に今日の福音ですが、福音記者ルカが伝える聖母マリアの親類エリザベトを訪問したときの出来事を、次のように伝えています。

「マリアの挨拶(あいさつ)をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高(こえたか)らかに言った。

『あなたは女の中で祝福された方(かた)です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまが、わたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。』。」と。

 ここで言われている「エリザベトは聖霊に満たされて」ですが、ルカが好んで使う言い回しですが、本人の聖霊体験が充満状態にあることを示しているのでしょう。

 また「祝福」という言葉もよく使われていますが、神からの生命力をいただく体験であることは、創世記の天地創造において初めて生き物が造られた時に、「神はそれらのものを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。』。」と、宣言なさいました。

 また、エリザベトがマリアに送った最高の誉め言葉「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」こそが、聖母マリアの幸せの源であることが確認できます。

 次に、出だしの言葉のラテン語「マグニフィカット」で有名になったマリアの賛歌ですが、聖職者と修道者が「教会の祈り」の「晩の祈り」の「福音の歌」として毎日唱えています。

 これこそ、まさに聖母マリアが、生涯掛けて参加なさっておられる神の救いの御業を総括した讃美歌と言えましょう。

 ですから、私たちもマリアにならい神の救いの御業における使命を忠実に果たすことができるよう共に祈りましょう。

 

 

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【聖書と典礼・表紙絵解説】
https://www.oriens.or.jp/st/st_hyoshi/2022/st220815.html